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  「マッチ先輩」



めでたくジャニーズに入ることが決まった。

私はうきうきした気持ちで、”ジャニーズ事務所”と書かれた
ドアの前に立っている。

「芸能界は挨拶が大事だって聞いたから、そこはしっかりやらなくては。」
私は心を引き締めてドアのノブを回した。

「おはようございます!」

勢いよくドアを開けた私に、事務所の人達は少しきょとんとしていたが、
すぐさま、にこやかに迎えてくれた。

事務所は思ったほど広くはなかった。
しかし、そこは一流事務所だ。
窓がとても大きくとってあり、そこからは日の光があたたかく差し込んでいた。

新たな一歩が始まるんだな。

私は心を引き締めた。

ふと、事務所の角に目をやると、
マッチさんが椅子に腰掛けていた。

「この業界、上下関係が大事だって聞いたぞ。」
私はマッチ先輩に歩み寄って挨拶をした。
私の方に振り返ったマッチ先輩は、にこっと笑って言った。
「君がマサくんか。 どうだい? これから一緒にランチでも行かないかい?」

「ありがとうございます。」


マッチ先輩の車は高級車だった。
しかも、だいぶの高級車だった。
マッチ先輩は車のレースが好きな事は芸能ニュースで知っていたので、
やはり車にお金をかけている事はすぐに合点がいった。

「マッチ先輩、いい車ですね。」

「ははは、そいかい。ありがとうよ。
 オレ、車はガキの頃から大好きだったんだ。
 いつかいい車に乗ってやる!
 ってのがオレの子供の頃からの夢だったからな。」

そう言って、マッチ先輩は前髪をかき上げた。

マッチ先輩の運転は、まあまあ上手だった。


マッチ先輩が連れて行ってくれたお店は、
そんじょそこらの高級店じゃないくらいの、高級店だった。
店内は、薄暗く、
黒い服を着た従業員が私たちを出迎えた。
マッチ先輩は常連客なんだろう。
「いつもの席を頼む。」
とだけ、言った。

店内には瀧が流れ落ちており、足元には川が流れていた。
竹も生えており、その竹藪を抜けると、茅葺屋根の茶色の様な、
離れの様な、小ぢんまりした建物へ私たちは通された。

正直、この店はどんな造りになっとるんや? と思ったが、
セレブというものは、こんな、訳のわからないもんなのかもしれない。

マッチ先輩と食べたランチは「たけのこご飯定食」だった。

「京都の朝採りたけのこです。」
と言って持って来てくれたウェイトレスの女の子が
はんぱないくらい、かわいかった。


もちろん、会計はマッチ先輩が払ってくれた。

「マッチ先輩、ありがとうございます! 本当においしかったです!。」

「いいよ、いいよ、気にすんなよ。 また、一緒に来ようぜ。」

マッチ先輩はそう言って、前髪をかき上げた。


マッチ先輩は僕を事務所まで送ってくれたあと、
「マサくん。 オレ、今日、これからサーキットの方に行かなくっちゃいけないんだ。
 チームのみんなに指示出さなくっちゃいけないからな。
 そうそう、今度の週末、レースなんだ。
 マサくんも是非来てくれよな。」
 
そう言って、マッチ先輩はアクセルを吹かして街に飛び出していった。


事務所では芸能界のしきたりを聞いて、今日は帰宅という事だった。

帰りにアパートの近くのいつもの安食堂に入って、Cセットを頼んだ。
鳥のてんぷら、餃子てんぷら、ライス、スープのセットだ。
ビンビールも一本注文しといた。


食べながら考えた。


「ランチ、すごかったなぁー。
 マッチ先輩とか、いつもあんなん食うてはるんやろうなー。
 やっぱ、スターだもんな。
 でも、ちょっと豪華すぎて旨かったかどうか、ようわからんかったなぁ。
 まあ、たぶん、旨かったんやろなー。
 マッチ先輩、いい車に乗ってはったなぁ。
 スターやもんな。
 言うても、だいぶ上の方のスターやもんな。
 そら、ええ車くらいは乗るやろうな。
 維持費も結構かかるやろな。
 そうや、レーシングチーム持ってはるくらいやもんな。
 車にお金かけんのも当たり前やわな。
 レースなぁ、 レース来てくれって言うてはったもんなー。
 
 どうしようかなー?
 
 俺、レースとか興味ないしなぁ。
 でも、先輩から来てくれって言われたら行くべし!
 しかないよなー。
 
 行くか? レース。

 まぁ、行っといた方がいいやろな。
 行ったら行ったで、レーシングクィーンみたいなん居るんやろな。
 それは、それでいいよな。
 やっぱ、ちょっとレーシングクィーンとしゃべったり出来るんやろうな。
 やばいよな。
 でも、あんな人達はグッチのかばんとか買ってくれって言うんやろうかね?
 それはかなわんな。
 俺、そんなかばんとか興味全く無いねん。
 かばん買わへん言うたら、そっぽ向かれるんやろうな。

 そらかなわんな。 なかなか難しいな。

 なんか、面倒くさいよな。

 見たくもない、車のレースとか見て、
 ”よかったっスよ!” とか、
 ”チョー感激したっスよ” とか言わなあかんにゃろな。

 でも、そう言ったら、”また見に来なよ”って誘われたりするんやろうなぁ。

 そしたらまた、レース見に行かなあかん立場になってまうで。

 やばいよな。

 同じ事の繰り返しだな。

 そら、やだな。

 デフレスパイラルだよな。

 まいったな。

 どうすっかなー。」


いつものようにCセットはおいしかった。
「おばちゃん、ごちそうさまー。」


夜の街は肌に涼しく気持ちよかった。
居酒屋の看板がきれいに見えた。
サラリーマンたちが飲んだくれてご機嫌だ。

「そうだな。」
僕は次の日、辞表を出した。


今では小さな飲み屋のマスターをしている。
時々、ラジオからマッチさんの歌声が聞こえてくる事がある。
マッチさんは今でもスターだ。
私は今もレースには興味がないが、マッチさんにはなんとなく好意を持っている。
マッチさんは僕のことをもう覚えてはいないだろうが、
僕は今でもマッチさんのことを、
先輩だと思っている。



   おわり
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